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 FLASH視点で当サイトを振り返る (2005/2/5〜3/12)

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 はじめに
 UOフラとの出会い
 右往左往の超初心者時代
 爆発の契機 〜「鍛冶屋の受難」誕生のお話〜
 「Keep on lovin' you」 について
 受難リミックス企画について
 「雪の降る場所で」について
 「終わらない世界」について
 楽曲の持つ力について
 閲覧者に対して
 がらくた置き場
 制作中の精神状態について


はじめに
フラッシュ作ってる人って普段どんなこと考えているんだろう。他のサイトで素晴らしいフラッシュを見ると、そんなことを考えます。その表現はどこから生まれたのか、その感覚はどうやって養われたのか。そういうことを知りたいなあと思います。
自分のサイトを振り返ってみたときに、これまでUO内の活動については日記の形で綴ってきましたが、フラッシュについては作品としては置いてあるものの、それぞれの制作過程や日頃フラッシュについて考えていることについては、一部を除きこれまであまり積極的に書いてきませんでした。
最近少し思うこともあって、自分の考えをまとめておきたいという気持ちが出てきたので、これまでの当サイトとフラッシュとの関わりなどについて、何回かに分けて書いてみることにします。たぶん全5回くらい。


UOフラとの出会い
1999年、ブリタニアで生活を始めて最初の秋、「ON THE NEXT LEVEL」にてUOを題材とした物語のフラッシュ「a dog」が公開されました。
当時はUOのフラッシュという存在がまだほとんど広まっていなかったこともあって、公開と同時に大きな話題になりました。私もこの作品を見て涙し、何度も繰り返し見ました。当時はダイヤルアップだったこともあって、約1メガのファイルをダウンロードするのに30分くらいかかったように記憶していますが、確かにこの作品は30分かけても見るべきフラッシュだったと思っています。
この時、この作品を見た多くの人が思ったのと同じように、こんなにすごいことを人の手で表現できるものなのかと衝撃を受けました。また、自分もフラッシュというものを作ってみたいと強く思うようになったのもこの時です。フラッシュに出会うきっかけとなる「a dog」を作ったうーたん(wu-tang)は、今でも私の神様です。

「いつか、きっと」という思いを抱えながら2年の時が過ぎ、ついに FLASH5 を入手。わくわくしながらインストールし、希望に燃えつつ早速起動。ところが、起動後の画面を見て呆然。操作方法が全然分かりません。何をどうしてよいやら全く分からない。このソフトが持つ概念も分からないし、「フレーム」「トゥイーン」といった用語も意味不明。

そんなちんぷんかんぷんな状態を救ってくれたのが、当時「ON THE NEXT LEVEL」からリンクされていた「うおふら」というサイト。「うおふら」では、UOのフラッシュを作成するための初歩の初歩を解説してくれていました。フラッシュの参考書には載っていないけれどUOフラッシュ作成には欠かせないソフトである「UOSV」や「InsideUO」の紹介、それに練習用作品の作り方を丁寧に解説されていました。同時期に参考書も購入し、ようやくフラッシュ作成の第一歩を踏み出したのでした。「うおふら」はもうだいぶ前に閉鎖されてしまいましたが、今でも惜しまれます。


右往左往の超初心者時代
2002年。第一歩を踏み出したはいいものの、ちんぷんかんぷんな状態はその後も続いていました。フラッシュ制作という憧れの世界は、もっと簡単で直感的な夢の空間かと思っていたのです。マウスで右を押せばキャラが右に動くとか、画面上に並んだ「カッコいい」「切ない」とかのボタンを適当に押しさえすれば、カッコいい(あるいは切ない)動画が自動生成されるとか、そんなイメージでいたのです。普通に考えてそんなことはありえないのだけど、ド素人の私が描く夢の動画作成ソフトはそういうものでした。
実際のフラッシュ制作では、画面上にあるすべての動きを制作者が具体的に指定してやらなければ何も動いてくれません。たとえば、「あるキャラが画面の右から走ってきて、中央で方向転換して下に向かって消えていく」という動作をするだけでも、かなりの処理工程が必要になります。
UOSVでキャラを作成し、右向きで走るキャラ素材と下向きで走るキャラ素材を書き出し、FLASHで素材データを読み込んで、右向きに走るシンボルと下に向かって走るシンボルを作成し、レイヤーに適切なタイムライン数を確保し、ステージにインスタンスとして配置して、キーフレームを挿入し、モーショントゥイーンを作成、動き始めと動き終わりの位置を指定…と、文字にするとほとんど意味不明になるほど面倒な作業です。今になれば当たり前なのだけど、このことは当時かなりショックでした。

憧れのFLASHを入手した時点では、よーしカッコいいフラッシュどんどん作っちゃうぞー!a dog を超えろ!とか思っていましたが、挫折の時は思っていたよりずっと早く訪れました。

何しろ処理が大変過ぎる。
自分のテクニックがなさすぎる。
頭の中にある表現が形にできなさすぎる。
想いを形にするツールは目の前にあるのに、自分が未熟すぎて何も伝えられない。
何も形にならない。

参考書を見ながら基本操作から勉強してみても、全然使いこなせる気がしない。
こんな膨大な作業、自分には無理だ…。いや、もうちょっと頑張ってみよう。フラッシュ起動。やっぱ無理…。そんな葛藤が続きましたが、そのうち、フラッシュを起動することもほとんどなくなりました。いつか、きっと…という想いだけを胸の内にくすぶらせたまま。


爆発の契機 〜「鍛冶屋の受難」誕生のお話〜
2003年7月。当サイトの20万ヒット達成記念フラッシュ「行こう!冒険へ」を制作していました。内容も技術も未熟のまま。カッコいいのが作りたいという想いだけは常にあって、当時としてはあれが自分のできる限りの内容でした。マスクを使ったのもこの作品が初めてです。(※マスクはFLASHの基本テクニックの1つ)
もうほとんど完成してあとは公開を待つだけという時に、たまたま見付けたサイトがありました。
それが「哭蔵のFLASH」様です。「誰ソ彼レ」を初めて見た時の感動は言葉で表せません。感動というより衝撃といった方が正確かも知れません。全身に鳥肌が立ち、画面に完全に引き込まれました。ただただ「すごい…!」。血が沸き立つようでした。その作品を見た後に、完成したばかりの自分の作品「行こう!冒険へ」を見てみると、なんてしょぼくて味気ないフラッシュなんだろうと惨めな気分になりました。同時に巻き起こったのは、自分もこういうのが作れるようになりたいという、強烈な、文字通り強くて烈しい、心の底からの、想い。

その日から、「誰ソ彼レ」をお手本として勉強を始めました。毎日毎日何十回も繰り返し見て、1つひとつの表現が一体どうやって作られているのだろうと頭をひねり、電車の中でメモをとり、帰ってきてからFLASHを起動して検証してみる作業を繰り返しました。練習用に「誰ソ彼レ」と同じ構成で作ってみようと思い立ち、同時に作り始めました。作者様の掲示板にご挨拶とお伺いを立て、楽曲制作者のtakoyaki_o様にもメール送信。
同じ構成といっても、画像などの素材は手元にないし、全くに同じものはできない。そこでUOの素材で作ってみるという考えは自然な流れでした。題材とするのは鍛冶屋。私はずっと鍛冶屋として生活していましたから、これしかないという気持ちでした。

「鍛冶屋の受難」は、作る過程すべてが勉強でした。
囲み文字はどうやって作るんだ?Wordみたいに「囲み文字ボタン」はないの?
音楽との同期は?画面の構成は?アルファは?文字のエフェクトは?
マスクの使い方は?レイヤーの管理は?等々。
シンボルを入れ子にすることに気付いたときは別の世界に来たように感じましたし、1つの表現ができるようになるたびに歓声を上げ、動くことの喜びに震えました。

「鍛冶屋の受難」作成で学んだことはたくさんありますが、まず1つは音楽の大切さ。
「Over the Rave」という素晴らしい楽曲がなければ、これだけのインパクトある作品にはなりませんでした。また、楽曲からかき立てられるイメージが多分にあり、本当にすごいのはフラッシュ制作者やフラッシュ作品そのものではなく、想像力を解き放つ楽曲の制作者なのだと知りました。想像力は自分のものではなくて、楽曲から頂いているものなのだということを、この作品以降強く意識するようになりました。楽曲選びは非常に大事な作業ですが、それよりも大事なのは楽曲を制作されている方に決して失礼のないように感謝の気持ちで接すること。また、楽曲に失礼のないフラッシュを作ることが楽曲を利用させて頂く者の恩返しといつも思っています。
それから、1つひとつの動きをどれだけ丁寧に作り込めるかでフラッシュの質が決まるということ。
一瞬で通り過ぎる細かい文字のエフェクトは、見ている方にとっては実はあってもなくても同じように感じられるかも知れない。でもそれをあえて丁寧に作り込んでいくことで、より高い次元のものを提供できるし、作品全体としての見え方が違ってくる。手を抜いてもそれなりのものは作れるかも知れない。でもひと手間加えることでもう1つ上の品質になると分かっていて自分がそれをできるのならば、少なくともやってみる価値はある。(でも実際には「うぅ面倒すぎる…(涙)」という気持ちとの葛藤ですが。)
この時学んだ気持ちが、「雪の降る場所で」の影の半透明処理などに結実していきます。たとえほとんどの閲覧者にとってどうでもいいことだとしても、そういう細かいこだわりが作品のレベルを決定するのだと信じます。

「鍛冶屋の受難」は、私がまともなフラッシュを作れるようになるきっかけとなった作品です。これまでの殻を破るきっかけを与えて下さった哭蔵様には感謝しきれません。
また、当然ながらこの作品はどこまでいっても習作だと思っています。画面構成、表現方法はすべて「誰ソ彼レ」をお手本としており、ネタ以外のオリジナリティはありません。ところが、「鍛冶屋の受難」というネタそのものがUO界には新鮮だったため、このフラッシュが一気に有名になってしまいました。習作として公開したものが、まさかこんなに話題になると思っておらず、有名になればなるほど恐縮してしまう状況になりました。

その一方で気付いたのは、動く表現の威力です。それまでの3年間は、UO日記がこのサイトのメインコンテンツであり、更新にも力を注いできました。恐らく、過去ログを全部読もうと思ったら数時間かかると思います。でも、自分の想いを凝縮したわずか2分間のフラッシュの方が、数時間の日記よりも閲覧者へ訴える力は強いかも知れない。勢いのある音楽とともに挿入される「仮想世界がゲームに堕ちた瞬間」「王不在のブリタニア 支配者は一体 どこにいる?」といった文句は、強烈に突き刺さってくる感覚があります。(この辺は作っててゾクゾクした。)
恐らく、日記として書いた文章であれば、これほど強烈な印象はなかったと思います。「Over the Rave」という素晴らしい楽曲があり、そこに文字などの動きを同期させることで、印象が何倍にも強くなったのではないかと思っています。
(特にPV系の)フラッシュでは長文を読ませることが難しいため、贅肉を削ぎ落としたキーワードで攻めることになるのですが、ネタのつもりで入れた言葉までがシステムへの痛烈な批判のように見えてくる。フラッシュでは、普段の日記以上に気を付けて言葉を選んでいかなくちゃいけないなあと痛切に感じたのでした。


「Keep on lovin' you」 について
「鍛冶屋の受難」でフラッシュ制作の基本を学び、作る喜びや表現できる喜びを体験したら、色々とやってみたい表現がいくつも浮かんできました。「メアに2人乗りして空を飛ぶ」とか「人物の周りをカメラがぐるぐる回っているように見せる」といった表現をやってみたい。そんなことを漠然と考えていたところに飛び込んできたのが、出雲の友人ルースラさんの結婚話。フラッシュ化即決定。結婚式の余韻が冷めないうちにと、可能な限り短期間で仕上げました。自分の中では、様々な表現上の工夫がうまくできて満足度の高い作品だったのですが、友人の結婚式という内輪ネタだったせいか、一般にはあまり受けがよくなかったようです。でも自分ではお気に入り。


受難リミックス企画について
企画の話の前に。私が「成り上がりUO工房」というサイトを続けているのは、主に恩返しの気持ちがあります。それはこのサイトを始めて間もない頃から既にそう思っていました。自分を楽しませてくれるブリタニアという世界。
ブリタニアで出会った人や自分を楽しませてくれた人がいる。
役に立つ情報を提供してくれた人がいる。
世界そのものへの、あるいは出会った人たちへの直接の恩返しはできないかもしれないけれど、自分がこうしてサイトで何らかの情報を残しておくことで、それを見た誰かが、あるいは次の世代の方が楽しんでくれたり、私が残した何らかの気持ちを感じ取ってくれることが、私にできる恩返しの形です。私自身、ブリタニアで生活を始めたばかりの頃、様々なサイトからスキル上げの方法を学んだり、出会った方からプレイスタイルのこだわりを聞き、その影響を受けたりしています。

さて、受難リミックス企画における「鍛冶屋の受難」のソース公開も、ひとつにはそんな恩返しの気持ちがあります。自分が練習用に作ったソースを公開することによって、もっと面白いフラッシュが出てくるかも知れない。楽しんでくれる人がいるかも知れない。そんな気持ちから始めた企画です。
以前にも書いたことがありますが、きっかけは某掲示板での書き込みでした。

UO工房の『鍛冶屋の受難』を許可もらって改造して
テイマーやら戦士やらの受難シリーズがみたいです

フラッシュ作品は普通、ソースの公開は前提とされていません。「鍛冶屋の受難」についても例外ではありません、でした。もともと練習用のつもりで作っていたこともありますし、いろんなことが分からないながらも無理やり前に進んでいたので、普通ならとても人にお見せできるような代物ではありません。また、他の作品だったらソースを公開することはなかったでしょう。
でも逆に、あくまで練習用で作ったフラッシュだからこそ、ソースを人に見せてもいいかと思えた部分があります。こんなのでよければいいよーという感じで。UOのフラッシュを作っている方はもともとそれほど多くないと認識していたので、新しいリミックスが5,6個もできたら上出来だと思っていました。鍛冶屋以外で「受難な」職業として思い付くのは、戦士とテイマー、それに料理人くらいかなあという気持ちでしたし。
また、私は他の方のソースを見ても構成などがよく分からないので、同じように他の方が私の作ったフラッシュのソースを見たところで、果たして新しいフラッシュを作ろうという気になるかは全く未知数でした。
ところが、この企画の盛り上がり方は私の予想をはるかに超え、ソース公開から5カ月後に公開終了してからも公開サイトは増え続け、本企画終了までの7ヶ月間に、一覧に掲載されているものだけで75ものリミックス作品が公開されるに至りました。
フラッシュというツールは決して初心者にやさしいとは思えないのですが、このソフトを当企画で初めて触るという方も多くいらっしゃったのが印象的でした。
ただ一方で、このソースを利用することによってあまりに簡単に新しいフラッシュが作成できてしまうため、制作者の実にならないまま自力で作り上げたという気になってしまうのは危険な部分と思っています。
でも、この企画でUOフラデビューされた職人さんがその後も新しいフラッシュを公開されるなどして活躍されているのを見ると、私もうれしくなりますし、感慨深いものがあります。もちろん、自分自身のレベルには全く満足していませんし、制作者としてはまだまだこれからだと思っています。


「雪の降る場所で」について
「雪の降る場所で」については別のページで既にかなり書いているので、ここでは少しだけ。
このフラッシュを作っているときはかなり辛かったです。
技術的には成長が頭打ちになっているところで作っていて、ゴムが伸びきった状態。本当はもっと高いレベルに進みつつやらなければならないようなことを、手持ちの材料だけでなんとか間に合わせたという感覚。枯れた泉の中でわずかの水を求めているような、そんなギリギリのところで作っていたので、完成したときは放心状態でした。自分が持つ想像力と表現力の乏しさに凹みながら作っていましたが、たくさんの方から様々な感想を頂けたのはうれしかったです。
この作品は共同制作で、途中で投げ出すわけにいかないというプレッシャーがかかったのがかえってよかったと思っています。1人だったらきっと完成せずに途中で投げ出してました。


「終わらない世界」について
この作品についても別のページで以前書いているので少しだけ。
自分が初心者の頃の懐かしい記憶を表現したフラッシュですが、この作品を公開してみて、多くの方から私と同じ懐かしさを感じられた旨のコメントを頂けたことは本当にうれしいです。とても愛着のある大好きな作品です。


楽曲の持つ力について
爆発の契機」の項目で書いたことと一部重複しますが、強く感じていることなのでもう一度書きます。
音楽を聴いていると、ふいに映像のイメージが湧いてくる瞬間があります。そんなイメージを与えてくれる楽曲を作り出せる人はすごい。楽曲制作者を本当に心から尊敬します。私の作るフラッシュは、どの作品も音楽が非常に重要な位置を占めています。私のフラッシュ作品をすごいと褒めてくれる方は多いけれど、本当にすごいのは私ではなくて楽曲の方だと思っています。私は楽曲から頂いたイメージで楽しませてもらっているのだという感覚です。映像のイメージは無からは出てこない。楽曲が想像力をかき立て、新しいフラッシュを生み出しているのです。
素晴らしい楽曲を利用させていただいているからこそ、楽曲に対して失礼のない作品に仕上げなければならないと思いながら作っています。


閲覧者に対して
作品を制作するにあたって心がけているというか考えていることは、見てくれた人に損をさせないということ。フラッシュ作品は、その映像が流れている時間、閲覧者のペースではなく制作者の意図に従って進んでいきます。UO日記の場合は閲覧者が自分のペースで読めるし、つまらなければ飛ばし読みもできる。でもフラッシュはそうじゃない。フラッシュを見せるということは、閲覧者をモニタの前にとどまらせておくことになることを意味します。では果たして、自分の作品にそれだけの価値はあるのかと。2分の作品なら2分間、10分の作品なら10分間、閲覧者をモニタの前に座らせておく価値を提供できたのかと。ある程度まとまった時間を頂く立場にあるなら、そこには価値が必要ではないかと。
また、閲覧者にストレスを与えないことは非常に重要と考えています。特に「雪の降る場所で」はセリフが入る物語で、しかも物語は閲覧者の都合に関係なく進んでいきますので、セリフのスピードには細心の注意を払いました。早くもなく遅くもなく、自然な流れで進んでいく、物語に集中できるように配慮をしています。
わざわざ見に来てくれた方に、ただ動いているというだけではない、何らかの価値を提供したいなあと考えています。


がらくた置き場
トップからは行けないサイトの片隅にあるがらくた置き場には、初期の頃に作って公開したことのあるフラッシュを晒しています。心底恥ずかしいので撤去したいのですが、置きっぱなしにしている理由は2つあります。
1つは、初心を忘れないようにするため。初期の作品を見ることで、その頃の想いや情熱を思い出し、自分への新たな活力にするためです。もう1つは、こちらの意義の方が大きいのですが、これからUOのフラッシュを作ろうと考えている人に対し、Rootsにも初心者の頃があったのだと知ってもらうためです。今は私もフラッシュというツールを多少使えるようになってきました。作品をご覧になった方からありがたいお褒めの言葉を頂けることもあります。そして中には、「自分もフラッシュを使えるようになりたい!」と強く思う方がいらっしゃるかも知れません。
その時に、当サイトで公開されている最近の作品だけを見て、「自分にはとても無理…」とあきらめてほしくはないのです。Rootsも最初はこんなヘタレなフラッシュを作っていたのだと知れば、新しい一歩を踏み出せるかも知れない。
初心者であることを恥と思わず、次へ進むための勇気に変えてほしい。そんな願いを込めて今日もまだ置いてあります。


制作中の精神状態について
多くのフラッシュ制作者がそうだと思うのですが、フラッシュ制作期間中は、いつもフラッシュのことばかり考えています。歩きながらでも、電車の中でも、夢の中でも。フラッシュを起動するより前の構想期間が一番大切で、いかに明確なイメージを持てるかが作品の仕上がりに影響します。作品に対する思い入れの強さが作品の質を決定します。
一方で、作品を作るときには必ず常に抱えている不安があります。それは「完成しないかも」という恐怖。フラッシュを作るというのは本当に手間のかかる面倒で大変な作業です。自分で納得できる作品を完成させるという強い意志と情熱、そして人を感動させることへの渇望がなければ、決してよい作品はできないでしょう。
完成しないかも知れない恐怖と戦い、自分の表現力のなさに落ち込み、それでも完成目指してじりじり進むというのが多くのフラッシュ制作者の姿ではないかと思います。私の場合は作品の完成そのものというよりも、作品を観て下さった方からのコメントを頂けるのが何よりうれしいです。

当面、当サイトの新作公開予定はありませんが、最近はフラッシュ制作者の裾野が広がってきたように感じられるので、そのことはうれしく思っています。
長い文章にお付き合い頂きましてありがとうございました。


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